風化させてはいけない出来事


今日は、あの東日本大震災からちょうど3年目です。

早いのか、遅いのか、いずれにしても、あのときのことは、一生忘れることは無いでしょう。

私はちょうどその当時、仕事の関係で神奈川に住んでいました。ちょうどその日はお休みだったので、久しぶりに箱根神社に電車とバスで行っていました。箱根神社は、ワールドメイト会員がよく行く神社のひとつです。

そうしたら、神社を出た頃に、あの地震が来ました。地面が波打つかのように、グニャグニャに動いていたのを覚えてます。

わたしは、てっきりめまいがしてクラクラしてるのかと錯覚したほどです。でも、考えてみたら、立っていられないほど、地面が歪んでるわけですから、これは地震だと思って、すぐにかけだしました。そして、バスは幸いすぐに来たのですが、どうも途中、道路が通れなくなってるかもしれないというので不安になりながらも、とりあえず乗り込みました。

山の中の道はなんとか通れたのですが、案の定、市内で車が渋滞していて、これは動かないと見て、駅まで歩くことにしました。かなりの距離がありましたけど、もう、どうなってるのかわからないまま、とにかく歩きました。

ようやく、小田原駅に着くと、そこは、人で溢れていて、タクシー乗り場には100人か200人か並んでるし、お腹がすいてコンビニに行っても、ほとんど食料がありません。
列車は全く動く気配が無く、そのままホームに野宿するのかと思ってたら、小学校への避難がはじまりました。

そこで、マットのようなものが、大量に配られていて、イザという時のために、こういう備えがあるんだなと感心してしまいました。乾パンのようなビスケットも配られ、ただ、ちょっと固くて私は食べきれなかったのですが。

とにかく、今晩はここで泊まるんだと覚悟を決めて、そこで落ち着き、ようやく大地震のニュースと大津波のニュースを知ったのでした。あの時の衝撃は、忘れられません。

ああ、こんなところで避難しなければと行けないのかと思ってたわたしは、なんて馬鹿だったのと思って、みんな大丈夫だろうか。家族は、おそらく大丈夫だろうけど、会社の人たちは、ワールドメイトの仲間たちは、大丈夫かなと思いながら、連絡を取るすべも無く一晩を明かしました。
となりのおじさんが、とても親切で、やたら温かい食べ物をどこからか持ってきては、分けてくれたので、食べ物には困りませんでした。困ったときの、人の親切は身に染みました。

ああ、あれから3年の月日が経ったんですね。私の中では、10年くらい経ったような気分です。こんな風にして、だんだん人は、のど元過ぎれば熱さ忘れるになっていくのでしょう。その時のことを、ワールドメイトでも忘れないようにしてきたつもりでしたけど、やっぱりいつの間にか風化してました。

というわけで、この先も忘れることがないように、ブログに書き留めておこうと思います。